天然きのこを「調味料」として考える ジビエ料理とワインのモリノナカ

2026/09/14 ブログ
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山の旨味を、料理の土台にする

アンチョビを料理に使う時、必ずしも魚を食べたいわけではありません。

パスタやソース、煮込みに少量加える。

形がなくなるほど溶かしてしまうこともある。

それでも料理は明らかに変わります。

塩味だけではない、奥行きのある旨味が加わるからです。

だったら、

山の天然きのこにも、同じような「調味料としての役割」を持たせられないだろうか。

そんなことを考えています。

ハナイグチ、アミタケ、ハタケシメジ。

採れた天然きのこを塩漬けにして保存し、必要な時に刻んだりペーストにしたりして料理に加える。

アンチョビの代用品を作りたいわけではありません。

魚ときのこでは、旨味の成り立ちそのものが違うからです。

でも、この違いが面白い。

動物ときのこでは「旨味の組み立て」が違う

人間が感じる代表的な旨味物質には、

グルタミン酸
イノシン酸
グアニル酸

などがあります。

肉や魚では、グルタミン酸に加えて、ATPの分解によって生じるイノシン酸などの核酸系うま味成分が重要になります。

一方、きのこで特徴的なのがグアニル酸です。

特に乾燥きのこで旨味が強く感じられるのは、乾燥によって単純に水分が減るだけでなく、戻しや加熱を含む過程で呈味成分が料理として利用しやすくなることも関係します。

つまり、

肉には肉の旨味がある。

魚には魚の旨味がある。

きのこには、きのこの旨味がある。

「動物性ではないから弱い」という単純な話ではありません。

むしろ料理人として面白いのは、違う仕組みで生まれた旨味を、同じ一皿の中でどう使うかです。

旨味は、足し算だけではない

さらに面白いのが「旨味の相乗効果」です。

グルタミン酸と、イノシン酸やグアニル酸のような核酸系の旨味物質が組み合わさると、旨味は単純な足し算以上に強く知覚されます。

日本料理の「昆布と鰹節」が代表的です。

昆布のグルタミン酸。

鰹節のイノシン酸。

性質の違う旨味を重ねることで、出汁としての厚みが生まれる。

この考え方を山の料理へ持ち込むと、かなり面白くなります。

鹿や熊の肉。

そのフォン。

天然きのこ。

そこへ塩漬けした天然きのこを少量加える。

きのこを「具」としてたくさん食べさせなくてもいい。

ソースの中に溶けて、何が入っているのか分からない。

それでも一口食べると、何か厚みがある。

僕が塩漬けきのこに期待しているのは、そういう仕事です。

なぜ塩漬けなのか

塩漬けには、もともと保存という大きな目的があります。

山の食材には旬があります。

天然きのこなら、欲しい時に欲しい量を一年中採れるわけではありません。

大量に出る時期があり、まったく無い時期がある。

だから昔の人たちは、

干す。

塩に漬ける。

発酵させる。

といった方法で、季節を越えて食材を残してきました。

塩漬けでは浸透圧によって食材から水分が移動し、水分活性が低下します。十分な塩分や適切な管理条件では微生物の増殖を抑える方向に働きます。

同時に、水分が抜ければ味の感じ方も変わる。

生のきのこを炒めた時とは違う、凝縮した味と独特の質感が生まれます。

だから僕にとって塩漬けは、

「保存方法」であると同時に、「調味料を作る工程」でもあります。

ただし、天然きのこの塩蔵は菌種の確実な同定、前処理、塩分濃度、温度、pH、水分活性などによって安全性が変わります。「塩を入れれば安全」という意味ではありません。

「アンチョビの代わり」という発想から始める

たとえば鹿肉のラグー。

普通ならアンチョビを少量加えて旨味の下地を作るところを、塩漬けしたアミタケで作ってみる。

あるいは熊の煮込み。

ハナイグチを刻んで溶かしてみる。

パテ・ド・カンパーニュ。

ソース。

バター。

ドレッシング。

川魚料理。

使える場所はいくらでも考えられます。

重要なのは、

「アンチョビ10g=塩漬けきのこ10g」

と置き換えることではありません。

アンチョビには魚由来の旨味、脂質、発酵・熟成由来の香りがあります。

きのこには、きのこの旨味、香り、多糖類などがあります。

同じものではない。

だからこそ、

代用品ではなく、同じ「役割」を別の素材で作る。

ここが料理になると思っています。

科学を知ると、料理の選択肢が増える

料理人にとって科学は、答えを決めるものではありません。

「グアニル酸があるから、この料理が正解」

ではつまらない。

むしろ逆です。

なぜ乾燥きのこは旨味が強く感じられるのか。

なぜ肉ときのこを合わせると味に厚みを感じるのか。

なぜ塩漬けにすると生とは違う味になるのか。

その仕組みを少し知っていると、

「じゃあ、こんな使い方もできるのではないか」

という発想が増える。

料理の幅を広げるのは、食材の数だけではありません。

経験。

技術。

科学。

そして想像力。

この四つが重なった時、一つの食材から何通りもの料理が生まれます。

日本の山は、まだ料理し尽くされていない

僕は、日本の山は食材と食文化の宝庫だと思っています。

鹿、猪、熊。

天然きのこ。

山菜。

木の実。

野草。

川魚。

それだけではありません。

塩漬け。

乾燥。

発酵。

燻製。

その土地で長い時間をかけて残されてきた保存技術まで含めれば、料理の可能性はさらに広がります。

フランス料理には、フランス料理が何百年も積み重ねてきた技術があります。

フォン。

コンフィ。

シャルキュトリー。

ソース。

発酵。

塩蔵。

それをフランスの食材だけに使う必要はないと思っています。

フレンチの技術と料理人としての経験を持って、日本の山をもう一度見てみる。

そうすると、

天然きのこが「付け合わせ」ではなく調味料になる。

鹿の端肉がパテになる。

熊の硬さが煮込みの個性になる。

川魚の骨が出汁になる。

昨日まで脇役だったものが、別の役割を持ち始めます。

新しい食材を海外から探してくることだけが、新しい料理ではありません。

昔からそこにあったものを、科学と技術と経験を使って違う角度から見る。

ハナイグチを、アンチョビのように使えないだろうか。

始まりは、それくらいの小さな疑問でいい。

そこから試して、失敗して、また考える。

日本の山には、まだ僕たちが料理として使い切れていないものが無数にある。

だから店主にとって山は、

珍しい食材を探す場所ではなく、
まだ料理し尽くされていない「食文化の宝庫」なんです。

そして、その宝庫を開ける鍵になるのは、珍しい技法ではなく、

料理する人間の経験と想像力なのだと思います。