【2000年初期】ジビエの処理方法と各地に息づく食肉文化
2000年ごろ、日本で「ジビエ」という言葉はまだ一般的ではなく、鹿や猪は“山の獲物”として地元消費にとどまっていました。猟師は山中で止め刺し・血抜きを行い、背負子や軽トラでふもとへ搬送。解体は自宅の納屋や地域の精肉店の裏で行われることが多く、衛生管理は個々の経験と勘が頼りでした。冷却設備は簡易クーラーか氷水程度。内部温度を3〜7 ℃に素早く下げるという現在の常識は浸透しておらず、夏場には「臭み」が語られる一因にもなっていたのです。
しかし、この素朴な処理体制の背景には、各地方が培ってきた独自の食文化が息づいていました。
北海道ではエゾ鹿を「蝦夷しか」と呼び、冬場に凍り付く前脚肉を味噌漬けにして保存。猟師町の居酒屋では焼酎の湯割りと合わせるのが粋とされました。
東北はマタギ文化の中心地。熊肉は脂を鍋に溶かし、根菜と山菜を煮込む「熊汁」として冬のご馳走に。止血した胆嚢を乾かして薬として珍重する風習も残ります。
信州では江戸期から続く「鹿膳」の伝統があり、猟師が山小屋で鹿の骨を煮出し味噌仕立ての鍋に。遠山郷の解体小屋では背ロースを山葵醤油で刺身食べする習慣が続きました。
中国〜四国は猪肉文化の宝庫。岡山の山間部では味噌ダレの鉄板焼き「しし肉焼き」、徳島の剣山系では藁で表面を炙る「猪のたたき」が祭りの定番。瀬戸内のレモンを搾ると臭みが和らぐ知恵が語り継がれました。
九州ではシカより猪が優勢。宮崎の椎葉では「ぼたん汁」に柚子胡椒を利かせ、鹿児島では黒糖焼酎で煮込む甘辛煮が茶請けに。
沖縄は本土ほど狩猟が盛んではないものの、リュウキュウイノシシ(カマイ)を祭祀の供物として塩茹でにする風習が残存。豚文化と同居し「山のウシ」として尊ばれていました。
こうした地域色豊かな食べ方は、2000年初頭の“素朴な処理”とも相性が良かったと言えます。狩猟直後に山の水で粗熱を取り、車で2〜3時間揺られ地元へ到着。新鮮さが残るうちに味噌・柑橘・芋焼酎など土地の調味料で濃いめに仕立てれば、多少の血臭や硬さも旨みに変わりました。いわば「処理の不完全さを、郷土料理の知恵で補う」スタイルです。
その後、2010年代に入り捕獲頭数が増加し始めると、各県で解体処理施設の整備が進みました。冷却庫、HACCP対応の解体室、金属検出や放射能検査の導入により、温度管理と衛生基準が一気に近代化。独特の郷土料理は残しつつも、今では都市部のレストランに安全なジビエが届く時代となりました。昔ながらの味わいと最新技術の融合が、令和のジビエシーンを支えているのです。